朝ドラ、価値観を伝える言葉の大切さ。「やりたいこと、やりなさいね」

朝ドラと人の生き方

朝ドラ、価値観「やりたいこと、やりなさいね」

心に刺さった回。

2021年10月7日放送の「おかえりモネ」104話です。

「胸に秘めた思い」を見て心の痛みについて感じたことがありました。

辛いことほど、近い人に程、本当の痛みをなかなか、言えないということです。

ところで、朝ドラは昔からよく見ています。

ひと昔前は子どもとも。

今では夫との貴重な共有話題として一役かってくれているのかもしれません^ ^。

よく言えば、ものの見方や考え方を意見交換できる、ちょうどよい話題になっているのです。

お互いの感想でなんとなく価値観を認識できたり、確認できたりと、面白いものです。

そういう意味ではおススメです。ただし朝からディスカッションにならない程度に、ですけれど。

え?そこ?って言う感想が飛び出したり、

そうそう!と共感し合えたり。

朝の15分、(7:30からバージョン)を見て、良い会話ができます。

今はもう成人した娘とも小学生の頃は朝ドラを録画をして学校から帰ったら一緒に見て楽しんでいました。

いろんな人間模様を一緒に見て、感じて。

たった15分間のドラマだけれど、そこにはいろんな人間模様が描かれていて、一緒に見て感想をよく言い合ったものです。

娘 「◯◯ってきらい!、だってすっごく意地悪じゃん」

私 「確かに!でも、もしかして◯◯なのかも?、、まだわかんないね」

私 「あれはないよね、◯◯、そんな気ないと思うのに」

私 「お母さん、◯◯みたいになりたいな」

娘 「えー、普通になれるんじゃない?」

私 「ほんと?そう思う??なんか、嬉しいな」

成人した娘と今でも、2006年度下半期放送の「芋たこなんきん」のこと

「「芋たこなんきん」は面白かったよね。」

とか「梅ちゃん先生でさぁ〜」

などなど、昔の朝ドラでさえ話すことがあるんですよ。とても楽しく、共有できるいい思い出にもなります。

思い出の共有もありますが、見ている時は、例えば、なれるとしたら登場人物の中でどの人になりたい?

と言うお題にお互い全く別人を発表して、えーーー?そうなの?なんで?どうして?だって○○なんだもん。へーーーーーー。なるほど。。

と、意外性や、面白みを感じながら楽しんでいたものです。

思い出話はこれくらいで、本題です。

 

朝ドラ、価値観。「おかえりモネ」より。

今回の朝ドラ、なかなか進まない?

天気予報士を目指してアップテンポに進むサクセスストーリーかな、と思いましたが。

途中から少し話が進むスピード、遅いのかな? 展開が遅い? という印象に変わりました。

そうして心の動きを丁寧に描こうとしてる?と思って最近は見てきました。

そして今朝の内容に一瞬、心が鷲掴みされました。

なんとなく私が毎朝思っていたこと、その答えだ!と感じたからです。

 

朝ドラ、価値観はそれぞれの経験による。心と身体の痛みについて

ドラマの中でも東日本大震災を経験して、いろんな人がいろんな形で心に痛みを感じ続けている。そして10年たった今、時と共に微妙に変化する”痛み”を抱えながら、それぞれに生きてきた今を描かれている、と思います。

主人公の百音の心の痛みに初めはフォーカスされていたように思いますが、家族とともに過ごしてきた妹との確執や 地元の同級生との微妙な感覚の違いと絆の狭間で戸惑う百音。 また同じ経験をしたことのない恋人との会話、やりとり。それらの中にみんな心の中に人に言えない痛みを抱えている、そういうことをぼんやりといろんな登場人物を感じながら今日まで見てきました。

それに対して今日ははっきりと語られてこなかった答えのようなものが、鈴木京香さんが演じる母親のセリフに重く、深く、表現されていました。

朝ドラ、価値観〜子どもは堂々と大人の力を借りていい〜子どもへの眼差し

百音のもとを訪れた高校生の女の子は百音の母の元教え子。何か言いたげに、でも、遠慮して、言えない様子に百音は

「子供は堂々と大人の力を借りていいんだよ」

と言いました。

この言葉は以前ブログと共通する、子供を守る眼差しです。

また地域のラジオ放送で心と身体の痛みについてはっきりと話すシーンがありました。

お天気情報ラジオで冬の訪れを告げる けあらしと、美しい朝日の情報と共に身体と心の疲れについても発信したのでした。

「心と身体が辛い時、痛みを持っている時、少しでもいいから言葉に出してみてくださいね。誰かに話してみてください。」と。

 

朝ドラ、価値観とは、その人が大切にしたいこと。人はだれでも心に傷がある。

一番辛いと感じていることは はなかなか人には言えないものです。

ほとんどの人が言葉にしないで抱えている。

それは相手に対しての気遣いだったりもします。

やさしさで自分自身が押しつぶされそうになってしまうことがあるんですね。

それを安心して話せる場所があったら、どんなに心が軽くなるか。

私が今の活動を始めようと思ったきっかけは まさにこのセリフにあります。

 

鈴木京香さんが演じている百音のお母さんのセリフもとても心に響きました。お母さんはお母さんの立場で抱えていた心の傷を家族を気遣って何年間も話すことをせず過ごしていたことがわかりました。

震災の時、自分の仕事の責任より自分自身の大切にしている家族、子供のことを一瞬、いや正直言うと10分間位優先してしまったこと、それをずっと心の傷として持ち続けていたというのです。

他人から見ると自分の子供の事を案ずることが悪いなんて誰が思うでしょうか。

でも教師としてあの時私はどうだったのか、一瞬教師としての仕事を放り出そうとしたのではないか、また、新しく何かやる資格があるのだろうか、と自分を責め続けてきたのでした。

私は、民宿をまたやりたいのに、無理してまでやろうとしない母を見て、家族のために自分を犠牲にしないで!と思いながら見ていたのですが、実はもっともっと深い心の傷があったのですね。

そして、父親もまた、家業を継がずにきた複雑な思いを抱えている。父親はだんだんと老いてきている。サラリーマンとしてはうまく行っているものの、これでいいのか。。

 

朝ドラ、価値観は、人の心は、外からは見えない。

人の心はどんなに想像しても決めつけることはできません。

想像して、決めつけて、的外れなアドバイスをする事はかえってその人を苦しめてしまうことがあり、独りよがりになってしまう。

逆に自分の気持ちはちゃんと正確に伝えたい、と思いました。

私の話ですが、結構言わないで生きてきて、今やっと気持ちを表現できるようになったところ。もっと早く自己表現できていたら、と思います。

でも、今、自己表現が苦手な人の気持ち少しわかるのです。

だからこそ、冒頭に書いた、「やりたいこと、やりなさいね」とモネのおばあちゃんのように、迷っている人に言いたくなるのですね。

そんなことをいろいろと考えた時間でした。

 

大切な家族、友人、職場での人間関係、関わる全ての人たちと、わかったつもりで関わることがないように、どんな思いを持っているのか 少しでも本音を話してもらえる自分になりたいと思います。

心を磨いて、言葉を磨き、心の耳を澄ませて。

朝ドラブログ、ふと思った時に書きます。

 

最後まで、読んでくださりありがとうございます。

 

 

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