ヤングケアラーを支援するためにできること 

ウェルビーイング

ヤングケアラーの支援でできること 日テレの24時間テレビでは

「生徒が人生をやり直せる学校」ではKing&Princeの平野紫耀さんが、ヤングケアラーで

ある生徒を含む、様々な問題を抱えている生徒達に全力で寄り添う新米教師を演じていました。

ヤングケアラーという存在をひとりでも多くの人に知ってもらえる、良い機会になったのではないかと思いました。

なぜならこれまでヤングケアラーという呼び方さえ、あまり知られていなかったうえに、

ヤングケアラーである自身もその自覚がなく、家族のことは家族で、という流れで、自信

も子供であり家族の面倒をするなど大変な状況でありながらも、誰かに相談するという発

想すら持ちにくいことが多いからです。

ヤングケアラーとは。支援と周りにできること。

私は、ヤングケアラーという、この言葉を何かの記事で初めて目にした時、「誰かをケア

している、若い人のことを指している」とすぐに理解したのを覚えています。

そして、「そんな呼び名があるんだ」思いました。

一瞬、胸がざわつきました。

ヤングケアラーって、。じゃあ私、ヤングケアラーだったってことになるのかな?

…弟達も、?

私は当時全く、自覚無しでした。まったく支援を受けるという事も思い浮かばなかったのです。

ヤングケアラーの何が問題かというと、私が今まで何十年も気づかなかったように、

子供は自覚無しで、本来世話をしてもらえるはずの自分がお世話する側になっている、と

いうことなのです。

しかも、家族にはありがたがられ、褒められたりする。

これが当たり前の感覚となり、大人になっても他者優先、自分のことは後回しにしてしま

う癖がついてしまうのです。

私はずっと自信がないまま大人になりました。頑張っていても、自分を大切にすることが

難しかったからだと思います。自分を後回しにしているという無自覚です。

このことは後の人生のあらゆる選択をするときに大きく影響すると思います。

ヤングケアラーで支援を受けられなかった私の介護実体験

私が18才の頃、弟たちは15才、11才でした。

父を突然病で亡くしました。

そしてその喪失感から到底抜け出せていない、半年後に母が難病にり患していることがわかりました。

当時、母の仕事の助手をされていた方が看病を手伝ってくれたけれど、入退院を2、3度繰り返しながら、ほぼ5年間を自宅で看病し、そして最後は一週間ほど入院して病院で見送りました。

母の闘病生活の後半は日中も夜中も交代で看病が必要でした。

私は夢中で母に必要なことだけを考えていました。

自分の将来のこと、夢など考えられる状況ではなかったし、自分と友達との状況の違いを漠然と感じながらも、誰かに相談してもいい、一人で背負わなくてもいい事だという自覚はありませんでした

だから支援は求めなかった。

母の面倒や、弟たちのこと、父の法事、、、ひっきりなしにそんなことにばかり囚われて、自分の憧れていた将来の夢も気づかぬうちに諦めていました。

私たちの進路を真剣に心配してくれる大人にも残念ながら出会えませんでした。

杖から車いす、トイレに負ぶっていったり、車の免許を取って病院への送迎をしたり、飲み込みやすい食べ物を探したり、作ったり、体に合った車いすを準備したり。

後半は母は自力で動けないため、日曜日も夜中でも関係なく、20分おきに体位を変えたり、そういえば痰の吸引もしていました。

当時のことはそんなことしか覚えていません。そのころ弟たちは学校や友達関係など、どうしていたんでしょう。

私は自分のこともギリギリ、精いっぱい。

弟たちのことも、大事に思うことで精いっぱい。

一番下の弟の親代わり、すぐ下の弟と協力しながら、なんとかやっていたのだと思います。

私の心は悲鳴を上げていたはずなのに限界、という自覚はなかった。

家の中で起きることは子どもにとっては当たり前のことなんですよね。

家の中のこと。家族のこと。

ここが問題なんです。

大好きな家族だからこそ子供なりに年齢以上に頑張ってしまう。

そのせいか、母を看ながら、私は漠然とした不安にいつもさらされていました。

そしてその頃の弟たちの気持ちはどんなだったんだろう。

私よりも更に幼かったのですから。

私たちはどうやって切り抜けてきたんだろう。

今になって思うことです。

思い返すと、私は数人の友人に母が病気だと話していたと記憶しています。

でも、心からたよりにできる大人の人が身近にはいませんでした

どう?大丈夫?って、誰も来てくれないんだ、と思ったことを今でもはっきり覚えています。

ある日、私が近所のパン屋さんにパンを買いに行くとパン屋のおばちゃんが私に言いました。

「お父さんのこと、大変だったねえ。今度はお母さんも悪いんだってね、、まあでもあなたの家は今までが良かったからね」と。

幸せだった人は後で不幸になっても仕方がないんだよ、という悲しいメッセージが私に突き刺さりました。

もう、幸せは終わったんだ。。。😢

その時から私は、そう信じてしまいました。

私が強くなって何とかしなくちゃ仕方ないんだ、と考えるようになっていきました。

医師に告げられたとおりに発病から5年で母を見送ることになりました。

家族を`ケアすること‘ は終わっても、命の尊さとはかなさを知り、厳しさと寂しさが心に残り、本来親から得たいたくさんのことがもう得られなくなったと気づいたのはずっと後になってからです。私も当時はヤングケアラーだった。そして自覚無し

私の青春時代はいつも分厚い雲の下のようでした。

もう30年以上前のことです。

ヤングケアラーの支援に周りができること

ヤングケアラーは自覚無しで追われている。支援は全くないままに。本当にそうだと思います。

気づける仕組み、周囲のまなざし、支援が必要です。

厚生労働省のホームページによると、

ヤングケアラーの法令上の定義はありませんが、一般的に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

ヤングケアラー、厚生労働省、厚生労働省HPより参照

2021年8月13日付の朝日新聞には、「ヤングケアラーの君に届け」と題して、TOKYO FMのラジオ番組「SCHOOL OF ROCK!」が大人の代わりに家族の世話や家事をする「ヤングケアラー」について特集・調査した内容が掲載されていました。

ラジオで家族をケアする中高生が日々の様子を語ったほか、番組が実地したアンケートの結果も公表されたと記されています。

記事には、認知症の祖母の介護や足が悪い母を助ける大阪の中学校の女子が家で、様子を見守ったり、弟を世話したり、、と自分の時間が削られる辛さや、高校になってもこれが続くのかという不安を語っている、とあります。

また、東京の定時制高校に通う女子生徒は、糖尿病、認知症のある祖母を介護し、体調が不安定な母に代わり家事を担い、バイトもしている、ということ。

彼女は「正直つらいでも同居のおじいちゃんは、なるべく家族で見たほうがいいと言う」と話し、周囲には相談していないということです。やっぱり、誰かに相談してもいい事柄だという自覚が持ちにくいと言えるのです。

TOKYO FMのアンケート結果は以下のとおり。

《ヤングケアラーの問題どうしたらいい?》

・もっと社会にその存在を知られるようにする… 70%

・同じ悩みを持った仲間と交流する…45%

・隣近所で支え合う…38%

(TOKYO FMのアンケートから。家族の世話を経験した人が複数回答で答えた)

経験者として、少し大人になってから、客観的に聞かれると、これはもっともな回答結果です。

しかし、一番多かった回答の、もっとその存在を知られるように、の部分を考えてほしいのです。

ヤングケアラーの支援 子どもは支援を求めることを知らない。

子ども支援を求めることを知りません。

ヤングケアラーの子どもは自覚無しに家族の世話をしている。

耐えながら誰かの助けを待っている。

大人に、社会に、気づいてもらえるのを。

子どもですから、今いる家庭で生きること以外思いつかない、守ってくれる人がいるはずの家で、自覚無しに自分が家族を守っている現実。

他の家庭のことはわからない、仕方ないことだと思い込む、知られたくない、家のことを言うのは恥ずかしい、、子供の気持ちはどんなでしょうか。

きっと複雑ですよね。しかたないんだって。

想像力を持った大人が子供の言う「大丈夫です。」に、

家族のみなさんはお元気ですか? もし困ってることあったらいつでも言ってね。

こんな眼差しを持っていたい。私はそう考えています。

先ほどのアンケートは音楽アプリのLINE MUSICと共同で呼びかけ18歳未満が723人、18才~21歳は275人、22歳以上は283人の合計1281人が回答したものです。

その中で、ヤングケアラーという言葉は全体で46%が「知っている」と回答されています。18歳未満では42%。18歳未満の回答者で、家族の世話をした経験があったのは18%。全体では23%だったということ。

重要なことは、経験ありと答えた全員に、誰かに相談したり、助けを求めたりしたかを複数回答で尋ねている箇所

「家族・親族」が38%、「友人」が24%だったのに対し、一方では「相談したことがない」が39%いたということです。

全国の中高生を対象にした国の実態調査(4月公表)で「世話をしている家族がいる」と答えたのは中学2年生で5.7%、全日制高校2年生で4.1%でした。記事にはこれからは若い人が聞く番組でヤングケアラーについて伝えることで、情報が届かなかった層に知ってもらうきっかけになる。若い世代にも理解が広がり、当事者が話しやすくなってほしい。 …立正大 森田久美子教授

ヤングケアラーの支援は社会全体の問題。

最近では、高齢化社会を 核家族で、しかも近所付き合いも希薄な社会で育った若者が、増えています。

これからは、「家族の方がもし看護や介護が必要になった場合は、知らせてくださいね。そのときは一緒に考えましょうね。」と、普段から普通に声掛けをしておくと、自覚なしのヤングケアラーを救えるのかもしれません。「実は大変なんだ」相談しやすい場が絶対必要ではないか、私はそう思います。

子供や若者が守られるべき子どもであることにも自覚がなく、耐え続けることから、周囲が聞く、気づく、本人が伝えること、支援が生まれること、の流れが必要です。

昔の駄菓子屋さんや、文具店のおじちゃんや、購買のおばちゃん、隣のおばちゃん、友達のお母さん、学校の先生が何気なくかける見守りのまなざし。。

今の社会ではそれはどんな場所で可能でしょうか。

考えてみたいですね。

神戸市は全国に先駆けて、ヤングケアラー(18歳未満)と若者ケアラー(20代まで)を専門的に支援する「こども・若者ケアラー相談・支援窓口」を6月に開設しているようで、実際、開設から3か月間で23件の問い合わせと、神戸市以外からの問い合わせもあったということです。

また、埼玉県では県内の高校2年生を対象にした実態調査で、25人に1人がヤングケアラーという結果が出たということです。県では当事者の話を聞く機会として「ヤングケアラーサポートクラス」を実地、今年度8か所でサポートクラスを開く予定だとされています。

私は全国にこのような窓口が広がることを心から願っています。

一方、厚生労働省でも国の実態調査をうけ、来年度予算の概算要求でこれらの問題に対しての事業への補助や居場所を作る際の補助を盛り込んでいるということ。

本当に期待したいところです。

実際問題では公共機関の体制がすぐにできなくとも、私たち大人一人ひとりが、そういうこともありうる、と頭の片隅において、

元気のない子供がいたら気づいてあげられる社会地域に子どもの「心の居場所」があること、これらがこれからの時代には必要だと考えています。

ここで話は変わりますが、不思議なご縁で、学びの友人から繋がって、この点について素晴らしい活動をしている2つの団体に出会いました。

まさに小さい頃の自分を助けてくれているような活動をされている団体です。

微力ながら今の私にできる形で 関わらせていただいています。

ご興味を持っていくだされば幸いです。

自覚無し⇒ 知る、気づく、一緒に、が やさしい社会の始まりです。

「心の居場所」は誰にとっても必要です。

団体は下記にご紹介します。

◆子どもや家族の「心の孤立」をいかに防ぐかという視点で活動されている認定NPO法人PIECES  のホームページ

認定NPO法人PIECES(ピーシーズ)
認定NPO法人PIECESは、子どもたちの生きる世界が寛容になることを目指して様々な環境に生きる子どもたちの周りに「優しい間」を生む市民性醸成事業を展開。貧困、虐待、不登校など子どもたちの困難が解消され、子どもが子どもでいられる地域が全国にひろがることを目指しています。

◆病院で病気になってから来られる方のお世話をする前に、できることがある。「人とつながり、まちを元気にする」日本ではじめて‘予防する看護‘に取り組んだおせっかいナースを実践し、その後、資格の有無にかかわらず、まちにおせっかいをやく、をテーマに活動されている団体。コミュニティーナースカンパニーのホームページ

コミュニティナース | 人とつながりまちを元気にする_Community Nurse Company
Community Nurse Company 株式会社|コミュニティナースは、いつも地域の中にいて〝健康的なまちづくり〟をする人材です。そんな人材を育成するコミュニティナースプロジェクトの運営、受け入れ地域や団体へのアドバイザリー業務を行う企業です。

ヤングケアラーの支援でできることは自分の心の声を伝える、コミュニケーション力をつけること。

今こそ大事になってくるのがやはり、伝わる言葉。

大人はもちろんですが、子供に「実は困ってる」「助けてほしい「どうしていいのかわからない」とありのままを言えるように、また、言っていいんだ、と早くから伝えておくことが必要です。

子どもが自分を守るためにも、心の声を伝える力、コミュニケーション力は子どもにつけてあげたい大切な能力です。

私たち大人は まずは自分自身の心身の健康を保ち、子どもが健やかに成長できる土壌づくりをしていけたら、と切に願っています。

今回はヤングケアラーと社会のつながり方、無自覚から自覚へ、そして「心の居場所」と伝わるコミュニケーション力の必要性についてでした。

最後まで読んでくださり、心から感謝します。

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